科学者の「俺のロマン」
元記事を読んだときのもやっとしたところが弾さんの記事で明快になった。
それでも、退屈な作業を喜々黙々と続ける人たちは、それを続けるのをやめないだろう。彼らはその先に何があるのかを知らない。しかしその先に至ったとき、どんな気持ちになるかは知っているのである。そして、その体験をした自分以外の何人たりとも、その気持ちを共感はできても共有することは出来ないということを。
404 Blog Not Found:ロマンス=99%の退屈と1%の達成感
茂木さんの言っているロマンは「俺のロマン」というロマンのインスタンスに過ぎない。
人間を深く理解することによってこそ到達できると思っていた(そこにロマンを感じていた)その地に、
グーグルが力技で乗り込んできた。
グーグルめ、物量的にやりやがって、叙情性がないなあ、というわけである*1。
でもこれは「俺のロマンを台無しにしたグーグル」であって、「グーグル=ロマンティックでない」
とはならないだろう*2。
茂木さんのロマンをぶち壊した物量性。そのスケーラビリティにロマンを感じる人だっているのだ。
「世界征服」を夢見て日夜万物をインデックスし続ける姿に、僕はロマンを感じる。
弾さんの言う「退屈な作業を喜々黙々と続ける人たち」は、そういったロマンを心に秘めていると思う。
未知のものに挑戦する人は、多かれ少なかれロマンティストなのだろう。でもそれはつまりは
個人的な思い入れだし、ある人のロマンの追求が別の人のロマンをぶち壊すことだってあろう。
Googleが茂木さんのロマンを壊したように、
Googlerのロマンをぶち壊してやりたいというところにロマンを秘めた人たちだっているだろう。
そしてGooglerが「ロマンティックでない」とぼやく日も来るかもしれない。
追記:異なるロマンの競合を表すために「茂木さんのロマンを壊した」と便宜的に書いたが、
こんなことで本当に茂木さんのロマンが壊れるというわけではない。
そもそも、人工知能的な分野では深いアプローチが物量的アプローチに
負けるなんてことはこれまでいくらでもあって、たとえば自然言語処理なんかで顕著である。
茂木さんは脳科学といっても計算機科学研究所に所属しているので、そんなことを知らないはずがない。
梅田さんのコラムにあるように、「アジった」のだと思う。そして僕も含め、釣られる人が大勢出たというわけだ。