ウェブ時代をゆく

梅田さんの『ウェブ時代をゆく』が発売されて、話題になっている。が、実はまだ本を入手できていない。
ただ、本そのものだけでなく、その受容のされ方に興味があって、ブログ界での書評・感想を読んでいる。本を読む前に感想を書くのもなんだけど、今感じたことを書いてみて、読んだ後で比べてみたい。

この本のテーマが個人の生き方に関するということで思い出すのは、梅田さんの「好きを貫け」という檄が反響を呼んだことである。

ただその時は、梅田さんの言葉の「消費」のされ方に正直一種のむなしさを覚えてしまった。もちろん、梅田さんの言葉を受け止めた人が次々と大組織を飛び出してスタートアップをつくるなんてことを期待してはいないし、それが特別望ましいとも思わない。ただ、「感動しました!」「けっ、現実はそんなに甘くないよ」という賛否のどちらにも、なんとなく他人事、あるいはどうにもならないこととして発言しているような、ブログ界を一時にぎわすネタとして言葉が消費されていくような感じがした。波が過ぎ去った後は何も変わることのない日常が繰り返されていくのであろうか。そんな感じを持たざるを得なかった。
ウェブでの反応の全体的に、今の日本の社会構造に対する諦念がベースにあって、なんか話が暗い…。もっと能天気な勘違い野郎が現れて「こんなことを始めてみたよ」という話で盛り上がれたらなあ…。*1

だから、池田氏の感じる気味の悪さも理解できる部分はある。単に内心的な変革で終わるのであれば、それはスピリチュアルなもののひとつにしかならないと。現実は一向に変わってませんよ、そんなことより制度設計をしっかり考えましょうと、彼は言いたいかもしれない。確かに、現状が変わらなければ、どんな言葉も、ゆで蛙に対する一服の清涼剤でしかない…。

ただ、いくらよい制度を設計しても、その制度を政治的に実現するにはやはり人々の行動への意思が必要になる。問題は人々にその意思が感じられないということなのかもしれない。

そんなわけで、この本には出る前から期待と不安があった。まあ勝手に心配する立場じゃないけど。

今回の本に関してブログの感想や書評をみた限りでは、けっこう自分自身のこととして受け止めている人々がみられる。たぶん本としてまとめた甲斐があったのだろうと思う。ブログと比べて、本という形式の持つ力はまだ捨てたもんじゃないということか。

不遜な言い方かもしれないが、読者の中で、今のその気持ちが具体的な行動につながっていくことを願わずにはいられない。実行してくれよと。それが何であれ。勘違いでもかまわない。というか、多様な勘違いがあってこそ、それが集まって、時代の変化に強い社会が生まれると思う*2

圧倒的な日常の繰り返しの中でその気持ちは磨り減っていくかもしれないけれど、そんな中にもにいろいろな決断の場はあって、その時々にこの本のことばが思い出される、そんな本だったらいいなあと思う。

ま、まだ読まないで語っているわけで、早く読めよという自分なのですが…。まだサンノゼの本屋に売ってないのです。

*1:まあ自分が「個々の行動が集約され、それが大きな流れとなって社会を変える」、みたいな考えに甘い期待とロマンを持っているからかもしれないが…。それに、ブログには書かないけど、個人ではやることやってるって人もいるだろうし。

*2:そのために、多様な勘違いを許容するような、ある種の寛容さがネットの倫理として保たれるべきだろうし、ウェブのシステムもそれを担保するように設計されるべきと思う。