大企業研究者のジレンマ

大企業研究者とは第一義的には大企業に勤める研究者だが、その性(さが)ゆえに大企業についての研究もしてしまう悩める研究者のことである。それはともかく、前回のエントリーで引用させていただいた中村孝一郎 (id:koichiro516)さんから反応をいただいた。

一方ベンチャーでは、scienceもやればengineeringもやっていた。これは、チームとして生き残るという目的に沿うことならば、scienceとengineeringの垣根はないと言ってもいい。また、その両方に適応できる能力をコアの人材は備えていた。

本来、大企業だってそうであった方がいいのだろうけれど、生き残りなんていう切迫感がないので、研究者が勝手に自分の手の届く範囲に縄張りを決めてしまっているのではないかと感じる。それを許すのが大企業のゆるさなんだよ、と言ってしまえばそれまでだが。
http://d.hatena.ne.jp/koichiro516/20080212/p1

大企業においては、意思決定などはゆるくても、部門間の壁はガチガチに硬かったりして、実用化までの視野を持った研究者が育ちにくい。そういう点は確かにあると思う。その壁ゆえに多様な研究が持続できるゆるさが生まれ、そして壁ゆえにそれが死蔵されてしまうのだろう。これが大企業研究者のジレンマである。

これは、壁を取り払い、情報を可視化(見える化)すれば大企業病がすべて解決、というわけには行かないという難しさを示している。現在の組織構造そのままに、情報共有だけ極限まで進めていけばどうなるか。仮に大企業内のさまざまな情報を可視化できるシステム「水晶玉」が実現されたとしよう。ビジネスインテリジェンスとかエンタープライズ2.0(笑)とか、そういったものの究極である。国内大手ITベンダを想定して、ちょっと極端な作り話をしてみる。


まずは、管理者(研究投資の意思決定者)側に立ってみよう。水晶玉に映った研究者の様子を見ていると、なにか自分には理解のできない趣味的なことをやっている姿が見える。水晶玉はその研究者の活動にかかるコストをリアルタイムで表示している。見ている間にもカウントが上がっていく。それは数年後には役に立つかもしれないが、現在の事業には貢献しそうにない。関連事業部長を水晶玉に呼び出す。彼も今の案件で手一杯で、そんなことまで手が回らないといっている。さてどうするか。それを切ればすぐに業績につながることはわかっている。水晶玉がその数値をはじき出す。一方、将来の不確定性を加味して投資の現在価値を算定するのは、特にIT系では非常に難しく、個人で判断したり、少人数の幹部で合議したりできるものでもない*1。そして、水晶玉はそこまでは教えてくれない(それを教えてくれるならこの管理者は不要なのでクビだ…)。また、仮にそれが正しく算定できたとしても、会社としての投資の現在価値と、意思決定担当者としての投資の現在価値は一致しない。なぜならその技術が事業化されるころには自分は別の部署にいるという可能性が加算されるからである*2

だから、現状の組織構造では、管理者側がきっちり仕事しすぎると、研究所は小さくまとまりがちで、革新的な技術は生まれなくなってしまう。


次に、研究者側に立ってみる。現場の人はどうしているのだろうと水晶玉をのぞいてみる。ある開発プロジェクトがいま炎上しているのが見える。開発部隊も水晶玉を持っているが、さすがに顧客の心の中の「真の仕様」までは映せなかったようだ。いろいろ手違いが生じている。実際に顧客のデータでテストしてみると全く性能があがらず四苦八苦しているようだ。コードをチェックしてみる。これなら自分もプログラマーの端くれとして助太刀できそうだ。研究者は炎上するプロジェクトの中へと飛び込んでいった…。

しかし研究者がここですべきことは、現在おきている具体的な事例から一歩引いて、そもそも何でこんな困難がおきるのだろうか?と考えることである。情報系の企業研究者は、現場で起こっている問題を抽象化し定式化する能力のために雇われているのだ。新しいアルゴリズムによる性能改善であるとか、システムの自動チューニングであるとか、あるいは顧客のフィードバックを得られる機会を増やすために工期を劇的に短縮させる、そのためのプログラミング技術であるとか、そういったものを提供するのである。それは今のひとつの案件ではなく、将来の沢山の案件に貢献する。

でも今ここで新しいアルゴリズムについて思いをはせても、今炎上しているプロジェクトは救われない。つまり、同僚が四苦八苦している脇で、「これってどういうことだろう」と暢気なことを考えていなければならない。一方、今手助けをすれば、すくなくともその同僚からは感謝されるのだ。

まあこれは、極端な御伽噺のようなものだが、似たような罠が遍在しているとおもう。自分も、「研究者の縄張り」の中で独善的になりそうになったり、逆に現場の人のニーズ(それは必ずしも顧客のニーズではない)に対するその場限りの貢献に引きずられそうになったりしながら模索を続けている。


壁のない(ベンチャーのような)組織構造のゆるさ、そして多様性を保持できる(大組織の)ゆるさ。これを両立させることが大事なのだが、それは簡単ではない。簡単ではないけど、「これってどういうことだろう」と暢気なことを考えている自分がいる…。

*1:市場のように多種多様な人が競って値踏みすればまだいいと思うが。

*2:このギャップを避けるためには、この管理者の判断の会社にとっての価値を算定して、管理者の給料を査定する必要があるが、水晶玉はそこまでは…(以下略)