日本を拡張する

渡辺千賀さんの「日本はもう立ち直れないと思う」という発言がずいぶん反響を呼んだわけだが、*1これは日本という現行システムの限界を指摘しているのであり、中の人までが駄目だとまではいっていないと思う。渡辺千賀さんの趣旨そのものではないかもしれないが、次の二点に言い換えた上で同意したい:

  • 今のシステムで「かつてのような形での」繁栄は望めない(景気回復→海外に日本製品が売れまくり→みんなの所得が右肩上がり*2)。
  • 今のシステムを変えるには、もっと多くの人が(一時的にでも)外に出るほうがよい。

日本人が個人としてもっと海外に展開するようになり、今の日本を「拡張」することによって、かつてとは違った形での「日本」の繁栄はありうるのではないか。それが自分の思いである。これはessaさんのいう「広がっている日本」と基本的には同じことだと思う。

今日本が直面しているのは、景気の波というだけでなく、政治・産業・教育などにおけるさまざまな構造的問題である。その問題は複雑に絡み合い、一種の均衡状態に陥り、どこか一箇所を改善するという漸進的な改革は行き詰っているように見える。だからといって、システムをいったん破壊するような「革命」や、システムから単に逃れるような「亡命」が必要なほど今の生活が行き詰っているようには見えない。漠然とした閉塞間の中で、将来への希望を明確に形にできないまま時間が過ぎていく、そんな感じを受ける。

日本人の海外移住増加は、問題の構造を変えるための方法として、革命でも亡命でもない別の道を示唆しているのではないか。

日本を出て海外に移住するということは、必ずしも日本を見限って捨ててしまうことにはならない。国内外を含めた日本人がネットで緩やかにつながることによって、そこに拡張された形での「日本」ができるのではないか。一定数の日本人は国外でリアルを生きることで、世界と「地続き」の日本がそこに生まれるだろう。それは日本人がみな国内でリアルを生き、ネットを介してのみ世界とつながるのとは大きく違うと思う。

もちろん、日本人が外に出て行くことは今までもあったことである。だがその意味合いは時代によって違うと思う。

近年でいえば、日本の経済的発展に伴って日本企業が多くの駐在員を世界に送り出した。梅田さんの言うところの「時代の力」がその背景にある。しかし、今どんどん大企業の駐在の人は少なくなっている。これは、景気が良くなったらまた増える、というよりも、時代における一定の役割を終えたのだと思う。日本の大企業にとっては、海外で働く日本人の必要性が減ったということだろう*3

今後は大企業の力でではなく、個人の力で移住する人がもっと出てきて、日本を「拡張」してほしい。

これは、「みんな国を捨てて外に出るべき。残ったやつは負け組」とか「みんな国の中に残るべき。逃げるやつは非国民」とか、どっちの生き方が正しいとか言うものではない。現状ではいわゆる「子供のサッカー」のように、みんな日本国内に固まりすぎなので、そこを問題にしているのである。そこには次のような問題がある。

脆弱性

今の日本の状態は、大事なデータをひとつのハードウェアに保管しているような、そんな感じである。もし守りたいのがサーバよりもデータであるならば、データをもっと分散させたほうがよい。

日本人が国内に固まりすぎるということは、日本の国土を守るという地理的・物理的基盤と、その上の日本の文化や、「日本人がよいと思い守りたいと思うもの」が渾然と切り離されない状態にあるということになる。それが、一部の保守層に見られる排外的な考え方にもつながっているように思う。

もちろん、文化は自然環境や風土によって形作られる面もあり、完全に切り離せられるものではないだろう。だが、そこで形作られたものが本当によいと思えるのであれば、日本人が外に飛び出しても、その「よさ」は残っていくであろう。

アメリカ、ヨーロッパ、中国など、日本人がいろんなところにもう少し散らばって、異なる文化圏の人ともっと交流しながら、自らがよいと思うものを高めていく、そのような「保守」のあり方があってもいいと思う。

かつては、固まることに意義がある時代もあった。開国においては、西洋の学問・技術を取り入れ、帝国主義の世界で生き残るために国語や大学が構築された。戦後の経済成長期においては、終身雇用・大企業を中心にした系列構造などが、いい意味で社会主義的な効果をもたらし、工業化社会の中で日本の台頭に寄与したことだろう。

しかし、その国語、大学、終身雇用、日本的大企業、それぞれがウェブ時代の中で行き詰っている。それぞれが、硬いがゆえの脆弱性をはらんでいるように思う。

硬直性

硬いことの問題は脆弱性だけでない。政治や産業構造の硬直性は、生産性や、将来に対する希望に悪影響を与えている。

硬直した環境の中では、リスクを極端に回避するような行動が合理的になり、新たな行動がどんどん起こせなくなってくる。

  • 博士の就職問題(ハイリスクハイリターンの人材を企業が採って活かすことができるか)。
  • 技術者の地位・待遇の問題。
  • 日本特有のSIベンダー階層構造、IT導入が生産性向上につながらない日本的企業経営
  • (特に世代間における)既得権争い(「ロストジェネレーション」「希望は戦争」問題)。

これらは、ブログ界でも何度となく取り上げられる話題だが、根幹には流動性の少ないリスク忌避社会の問題があるだろう。

また、海部さんが「政治家のキャアリアパス」の問題を挙げている。普通の人が政治家になったり、落選したら元の生活にもどったりできるようにしないと、いい人材が政治の世界に集まらないというわけだ。これを実現するには、まず社会全体の人材の流動性が必要である。

ここで、日本人がもっと海外移住し、国外で働く、留学する、というのが身近な選択肢として感じられる程度にまでなれば、この状況も少しは変わってくるのではないか。日本国内にいる人も、その選択肢の存在によって、(それをあえて選択しなくても)今の立場を良くすることができるだろう。多様な道が具体的にあることがわかれば、戦う勇気も出るし、希望もわくと思う。また、構造改革のために制度設計をするにしても、具体的なイメージを共有できるのではないか。

これまで日本の構造改革アメリカなどの「外圧」によるところも多かったが、同じ日本人による「外圧」のほうが良いだろう。

まずはミクロなところから。

ただしこのように、日本の構造的な問題を指摘して可能性を模索したところで、そこで終わってしまっては何も変わらない。

渡辺千賀さんや海部美知さんがミクロにこだわるのは、「大層な御託はともかく、個人としてどうするか考えよう。そのミクロな行動が、やがては大きな流れになって社会に影響を与えるんじゃないか。」ということだと思う。

また、もちろん、移住のお勧めとして出てくるシリコンバレーアメリカの大学はあくまでもひとつの例である。ヨーロッパやアジアのほかの国でも良いだろう。カナダやニュージーランドでも良い。いろいろあったほうがよいだろう。

それでもシリコンバレーアメリカの大学を特にお勧めするのは(一般論を避けるという意味もあるが)、そこに世界から集まる人材の多様性ゆえと思う。それに比べれば、アメリカの政治社会が良いの悪いのという議論は、あまり重要ではないと感じられる。「日本」が多様性を確保するためには、この渦の中にもっと人が飛び込んでいくべきだと思うし、また日本人もこの中で十分やっていけると思う。

一方で、この話は大多数には関係のない話かもしれない。多くの人はそのまま日本で幸せに暮らし続けるだろうし、またそうであってほしいと願う。海外移住の勧めは、日本に生きるという生き方を否定するようなものではない。

渡辺千賀さんがどうお考えかなのかはわからないが、少なくとも自分の思いは、「こっちにきたほうが幸せな人が他にもっといるはず。そしてそれが日本人の総体的幸せにもつながるんじゃないか。」というものである。

これまで自分のサバイバルで精一杯の部分があったが、これからは自分のできる範囲で「拡張された日本」に何か貢献していけたらと思う。そして、単に国内か海外かというのではなく、志を持った人を少しでも応援していきたい。

そのためにも、日本語でものを書くことは続けていきたいと思う。

*1:ところで、もし「シリコンバレーのコンサル的発言」がお嫌いというなら、その希少価値をなくすためにも、やはりもっと多くの日本人が外に出て、情報発信をしてもらったほうがいいのではないだろうか。「シリコンバレー」とか「アメリカ」というキーワードに過剰反応することもなくなるのでは。

*2:そんな繁栄誰も期待していないだろ、と多くの人が思いつつも、それにチューニングされた旧来型システムのままとりあえず走っている。

*3:まあ日本的大企業自体がその役割を終えつつあるのかもしれないが…。