国家プロジェクトをやめてみる

はじめに:筆者の勤める研究所の親会社は日本の大手ITベンダーのひとつですが、ここに書くのはあくまでも筆者個人としての意見です。ですが、会社の、さらには日本のIT全体の長期的な発展を願うものとしての一般論をここに発言するしだいです。

「やめてみる」シリーズとして、やめてみるメソッドを是非適用してみたいものがある。国家プロジェクトだ。
ただし、

  • 国家プロジェクトやめてみ、といっても発注側(政府)と受注側(企業)と立場があるが、今回は企業側にたって、「やめてみ」と提案してみたい。
  • 国家プロジェクトといってもあくまで研究プロジェクトのことであり、政府が使うITシステムの受注といった話とは異なる。
  • 情報通信系の話で、ライフサイエンス系など別分野は違うかもしれない。情報通信系の中でも、主にソフトウェアの研究開発に議論が偏っているかもしれない。

また、最近で言えば『汎用京速計算機』の是非が池田氏のブログで話題になっている。彼の考えには大枠で賛同するが、どうしても個別論になると、「ベクトル型プロセッサに未来はあるか」といった話に陥りがちなので、ここはひとつ、国家プロジェクトというものを原則的にやめてみよう、と極論してみる*1


文部科学省科学技術政策研究所によるレポート「科学技術の状況に係る総合的意識調査」(2007年10月)(pdf)(via りもじろうさんの記事)をみてみると、「世界トップレベルの成果を生み出すために、どのような研究開発資金を拡充すべきか」についてのアンケート回答がある。

大学の回答者(137人): 自由発想(53%) 基盤経費(29%) 政府プロ(9%)
公的研究機関の回答者(30人): 自由発想(40%) 基盤経費(27%) 政府プロ(20%)
民間企業の回答者(51人): 政府プロ(43%) 自由発想(31%) 基盤経費(14%)
・政府プロは「政府主導の国家プロジェクト資金(非公募型研究資金)」、自由発想は「研究者の自由な発想による公募型研究費(科研費など

)」、基盤経費は「基盤的経費による研究資金(運営費交付金など)」を意味する。
p.9 図表2-7 世界トップレベルの成果を生み出すために拡充する必要がある研究開発資金

民間企業の回答者のうちどれだけが情報通信系かはわからないが、民間企業において、国家プロジェクトの資金をどれだけ希望しているかがわかる。それだけ大事な資金との認識があるわけである。でも、これをやめてみよう。それも世界平和とか公共の福祉のためでなく、会社の利益のために。

そもそも、このアンケートで「世界トップレベルの成果」というのが(国家プロジェクトにとって)何を意味するのか自明ではないけれど、大きく分ければ、(1)アカデミックな意味での世界トップレベル(2)世界的インパクトを持つ産業応用の実用化、が考えられるだろう。ただし経産省プロジェクトとしては、第5世代コンピュータプロジェクト*2以降は(1)をあまり目指していないようだから、情報通信系における国家プロジェクトで目指す成果は(2)ということになろう。でもこれは、すごく象徴的に言えば、グーグルを生み出す、みたいな話である。それが不可能とまでは言わないが、官主導による弊害のほうが大きいのではないか。


経産省のIT関連プロジェクトが典型的だが、ITベンダー(あるいは世に言うITゼネコン…)大手三社を官が取りまとめて行う、その体制にまず問題がある。具体的なことはこの場に書かないが、三社合同の典型的国家プロジェクトにたずさわる人たちを傍で見てみると、彼らが疲弊していく様がわかる。

まずなんといっても、会社間のすりあわせに多大な労力をとられている。

共同プロジェクトをはじめるにあたって、大目標を個別の目標にブレイクダウンし、どの会社がどの部分を担当するかをつめていく。もちろん企業にとっては、自分の得意分野にもっと投資をしたいわけだから、自分の好きなものを盛り込みたいというのは自然である。結果的に全体をみると、出来上がった絵はひどくいびつなものになりがちである。主導する側として官が本来の目標にあわせて全体像を調整するように努力されていると思うが、そもそもプロジェクトの体制に無理があるんじゃないか。個別の基礎技術を分担して研究するならともかく、全体として実用化を目指すというのであれば、最初からきれいに絵がかけるなどと考えないほうがよいだろう。

プロジェクトが進むにつれて、当初の思い通りには行かない点が明らかになってくる(それを明らかにするのも研究のうちだ)。一企業内の研究プロジェクトであれば、「会社の将来の利益にどう結びつくか」という大原則があるので、抜本的な見直しも可能だが、国家プロジェクトとなると、その落としどころを見つけるのに多大な労力がはらわれる。ときにプロジェクトの形を保つために本末転倒に陥りがちである。*3

かように国家プロジェクトとIT系研究開発とは筋の悪いものになっている。実現すべきものがもっと明確にわかっているシステム開発でもウォーターフォール的な大規模開発は困難なのに、研究開発でそれをやったらうまくいくわけはなかろう、という話である。


でも、企業側にしてみれば結局金が落ちるんだからいいじゃないか、と思うかもしれない。納税者側にとっては大変な無駄遣いだけど、ITゼネコンはそれで得しているんじゃないの?という批判もあるだろう。そしてそう批判されても仕方ない面もある(でもそれは、発注(政府)側に対する「国家プロジェクトをやめてみ?」として別に論じたい)。

ただ、これは企業側にとっても損失なのだ。政府のITシステム開発受注といった話と違って、これは研究開発である。国家プロジェクトの多くはマッチングファンドで、企業側も予算を出しているし、そしてなによりも研究者・技術者をプロジェクトに投入しているのだ。彼らを別のことに従事させる機会を損失しているのだ。

しかも上記のような国家プロジェクトを繰り返していると、研究者・技術者たちのモチベーションは下がっていくと思う。官僚的な業務遂行能力は鍛えられるかもしれないが、研究、あるいはものづくりにある知的興奮が不足しているように見える(当事者の人、いかがですか?)。*4


本来、企業の研究開発というのはその企業の将来を切り開く高度に戦略的な投資事業だと思う。それを官主導で行うことによって、その進路を大きくゆがめられてしまっているのではないか。昔のように、日本が経済的に弱い国で、目標が富士山みたいに明確な山を登るというものであれば、官主導に企業がまとまるのも悪くなかったと思う。でも今は状況がぜんぜん違っている。

IT分野でイノベーションを起こすには、もっとランダムさが必要だ。


本来企業側にとって見れば、各プロジェクト案件について、会社の将来のためによいことか悪いことか判断して是々非々で決めればよい話ではある。プロジェクトによっては、その資金が本当に会社の発展に役立つこともあろう。だけど、じゃあそんな判断ができるか、というと難しいと思う。

梅田さんが『ウェブ時代をゆく』で「書かなかったこと」、彼の「やめてみる」決意を参照してほしい。

それで、僕は6年前、40歳を超えたときに、「年上に一切会わない」と決めたんです。

年上の人に会わない。一切会わない。かなり厳しい原則だ。でもこれを、この人は若い発想を持っているから会う、この人は親父臭いから会わない、なんてやっていたら、最初の決意は日々のしがらみの中でどんどん形骸化していくだろう。それと同じことだ。経営判断していくにも色々しがらみはあるし、目の前の研究資金の機会をみすみす逃すなんて、相当な決断が必要だ。

そこで「やめてみるメソッド」です。国家プロジェクトでテンテコ舞うのをやめてみよう

予算が厳しいのはよくわかっている。でもだからこそ少ない予算をどう投資すべきか、必死に考えるべきだ。


別の機会に詳しく論じたいと思うが、官の側にも少し申し上げたい。

  • 研究的なものは、民間企業に対しても科研費のような自由公募型にすべき。
  • とくに基礎技術に対して、産学の垣根を取り払って公募・助成すべき。
  • 一方、産業応用までは官主導でやるべきではない。ビジネスチャンスは企業が自分で切り開くべき。

ただ、官僚組織でなにかを「やめる」というのは民間企業で何かをやめるのよりもっと大変で、時間のかかることだと思うので、まずは企業側がやめてみることが必要なのではないか。自社の長期的な利益のために。

*1:ただし、ここでの議論は文科省プロジェクトよりは経産省プロジェクトが主に念頭にある。

*2:ちなみに第5世代コンピュータプロジェクトは、アカデミックな成果をそれなりに出したと思う。まあ一番の成果として残ったのは、大学の先生を企業から輩出したというものなので、通産省(現経産省)的にうれしかったかは別の話だが。

*3:ところで、こんなことを書くと、官側が悪代官として企業を支配している様なイメージを想像するかもしれないが、そんなことはなく、個人個人はとても知的でまじめな人たちである(知る限りはですが)。みんな良かれと思ってやっている。誰かを悪人にすればよいものではなく、要は構造的な問題なのだと思う

*4:企業がこのような国家プロジェクトに依存していくことになると、ポスドクの就職先としてIT企業の研究所に活路は見出せないだろう。少子化の影響で大学のポストはこれ以上増えないとすると、日本のドクターは本当に大変だなあと思う。