ケータイ進化論 本当の「黒船」はこれから現れる

来年はついにiPhone日本上陸か、といわれており、Appleと組むキャリアはドコモか、ソフトバンクか、といわれている。iPhoneの参入は、パラダイス鎖国日本への黒船来襲ではないかとも言われる。だが、iPhoneもまた垂直統合型のクローズドな製品である。確かに今のケータイ業界に風穴を開けるかもしれないが、これまでのキャリア主導の体制を大きく揺るがすものではないだろう。これに対して、次に来るオープンな「黒船」の破壊力は風穴どころではないだろう。まだ間に合うかもしれない。その黒船に日本のメーカーが乗るチャンスも皆無ではないから…。


日本のケータイ業界の構造的な問題はいろいろ指摘されているが、実は、米国も日本のようにキャリアによる業界の支配が強い。日本のように携帯のブランドまでコントロールすることはないけれど、販売奨励金やSIMロックの問題が程度の差こそあれ存在する。その状況下で、自分がよいと思ったものを世に出すために、キャリアに対しても戦って主導権を握っていくApple社には敬服する。しかし、力関係に変化はあっても、垂直統合の枠組は存続したままである。

iPhoneよりも破壊的な黒船は、これから始まるオープンなプラットフォームの上で生まれるであろう。

先日は700MHz帯のオークションが行なわれましたが、グーグルがこれに応札しました。グーグルは電波が最後のボトルネックであることを見抜いて、FCCに「どんな端末でも使えるように電波をオープンにしろ」と要求し、FCCもこれを認めました。
池田信夫が語る、「ムーアの法則」と日本の経済(後編)

これは、ネットワークにつながる端末や利用されるアプリケーションを制限してはいけないという「オープン・アクセス」のルールのことをいっている。700MHz帯を落札するには、このルールを守らなければならない。Googleが実際に落札するかにかかわらず、このルールが加わっただけでもGoogleの目標は半分くらい達成したのではないかと思う。

無線インフラのオープン・アクセス化は、「ワイヤレス・カーターフォン」として提唱されてきた*1。これは、固定電話におけるカーターフォン(Carterfone)裁定―ネットワークに損傷を与えない限り、通信ネットワークに自由に端末を接続することを認めた裁定―を無線にも適用しようというものである。携帯電話市場はかつての固定電話のような独占ではない。しかし、キャリアの寡占状況の中で、新しい端末やアプリケーションの開発には大きな制限がかかっている。日本に比べたらまだメーカ主導で開発は進むが、それでも何をするにもキャリアのお許しが必要であるというのが実情だ。コロンビア大学のTim Wuはこのような現行体制がイノベーションを阻害していると指摘し、カーターフォン裁定の適用を推奨している。

この固定電話の自由化は、官僚や有識者委員会が「民はかくあるべき」と主導したわけでなく、イノベーターたちが戦いを挑んで得られたものである。この背景には1948年のHush-A-Phoneという消音型受話器、1968年のCarterfoneというコードレス電話を代表とした長い争いがあった。Hush-A-Phone側の訴えに、AT&Tは次のように反論した。

電話のサービス品質に責任を持たず、ただ製品の売り上げだけに興味があるような人たちの機器を勝手につなげたり利用したりされると、よい電話サービスを提供することは極端に難しくなる。
(Tim Wu, "Wireless Carterfone" International Journal of Communication, Vol. 1, p. 389, 2007 より)

今でこそこれはナンセンスだが、当時としては一理あったことであろう。AT&Tの技術者の多くも「そんなのとんでもない」と思ったのではないか。昔も今も、米国でも日本でも、「自由化は混乱をもたらし品質を下げる」という議論は登場する。この時のAT&Tも、事業を独占したいというのもあっただろうけれど、品質に対して「勤勉」だった部分もあろう。大組織の官僚的な体質と高品質を求める勤勉さとの融合は、日本固有の文化ではないようだ。日本との大きな違いは、それに戦いを挑むイノベーターがいたということ、そして何がイノベーションを阻害するかについて理解と信念があったというところだろう。FCCはAT&Tの反対を退けた。この方向性は1968年のカーターフォン裁定によって決定付けられ、端末機器の自由化が確立した。この自由化によって電話のモジュール化が進み、留守電やFAXやモデムなどが普及していった。

そして今ケータイの世界でも同じようなイノベーションが起きる場ができつつある。これもSkypeGoogleFCCに働きかけた結果である。携帯キャリアたちはもちろん反対していた。業界全体がひとつの「大組織」になっている国ではこうはいかなかっただろう。


Googleはケータイ・アプリケーションのオープンなプラットフォームとしてAndroidを公開し、お膳立てを整えつつある。このAndroidをソフトウェア単体でみると、単に携帯開発基盤が一つ増えただけとみえるかもしれない。確かに、日本にとって、ケータイ産業が現行体制のままでは、Androidは単に「開発費が安くなるかも」という程度の意義しかないかもしれない(今の開発体制ではそれすら怪しいかも)。

Androidの登場について、海部美知さんスマートフォンの市場は小さいと若干冷ややかである。

どうも私には「コップの中の嵐」「局地戦」のように見えてしまうのだ。昨日読んだ日経新聞に、シンビアンのCEOのインタビューが載っていたが、彼が開口一番「OSを搭載している携帯電話は、全体の7%に過ぎない」と言っており、私の印象もまさにそれが原因だ。日経新聞でも「世界の年間出荷十億台の携帯電話市場うんぬん・・」と2回も枕詞に使っているが、実際にこの話が適用されるのは、そのうち7%に過ぎない。「OS」と聞いた瞬間、「なんだ、携帯電話全体の話じゃなく、この狭いスマートフォン市場にひしめきあっている中に、もう一つプレイヤーが増えるのか・・・」と思ったのだ。

確かに電話屋さん的感覚からいうとその「局地戦」はあまりおいしく見えないかもしれない。それはたぶん正常な感覚なのだろう。でも、だからこそオープンにすることの意義が大きいのだ。これはまさに、今までの「電話屋さん」主導では限界があるということを示していると思う。

問題なのはAndroidか他のOSか*2という点でなく、誰でも簡単にケータイに参戦できる体制が整いつつあることだと思う。ケータイの場合は、基盤ソフトウェアをオープンソースにするだけでは不十分であり、ネットワークのオープン・アクセスが確保されて始めてオープンソースが大きな意味を持つ。誰でも自由にいろんなアイデアが試せる場ができて初めてケータイも真の意味で「ウェブ時代をゆく」ことになる。そしてその中から今の「スマートフォン」という概念を壊すようなものが出てくることを期待したい。


日本のメーカーは、米国市場に再挑戦し、オープンなプラットフォームの上でまず戦うべきだろう。なぜならそこはこれまでのケータイの概念を変えるようなイノベーションの場になる可能性を秘めているからだ。そして参加する権利は広く与えられている。日本でも、総務省がオープン化を検討しているが、産業界にオープン化を強力に推し進めるようなプレイヤーがいないので動きはにぶい。そのころでは多分遅すぎる。

日本の現状をみると、キャリア主導で季節ごとに新商品を(しかも各社同時に)出さなければならない日本市場にトラップされて、海外市場に打って出る余力がないというかもしれない。ここはむしろ、これまでの携帯開発の延長で考えないほうがよい。これからの携帯開発は、もはやクローズドな環境で作りこむものではなくなり、モジュール化された部品を使ってつくるようになる。やるべきことは、軍曹伝説で象徴されるような現在の開発とは全く異なるだろう。現在の開発部隊とは別に、「今のやり方は納得いかない」という少数精鋭を集めて今から試行錯誤していくべきだろう。けものみち的プロジェクトである。


つい想像してしまうシナリオは、日本のどのメーカーも様子見をしつつ、海外で立ち上がる新サービスを「日本はこれまでユビキタスを推進して来た。それに比べて技術的にたいしたことない。品質も低い」などといって無視しているうちに、気がついたら手遅れになっていた、というものである。そうなったときのインパクトはiPhoneどころではない。iPhoneは土俵に乗り込んで荒らしまわったとしても、その土俵自体をぶち壊してはいないように思う。だが、次は破壊的なイノベーションが日本のケータイ産業構造自体を無意味にしてしまうかもしれない。その時が本当の「黒船」到来であろう。それがどんたく、お祭り騒ぎだ。

2008年が日本のケータイ産業にとって有意義な年でありますように…。



付記:日本語での関連記事はこのあたりがまとまっています:

*1:Tim Wu, "Wireless Carterfone" International Journal of Communication, Vol. 1, p. 389, 2007 米国の携帯事情がよくわかりお勧め。平易な文章なので読んでみてください。

*2:例えばOpenMokoとか、これまでもオープンを謳ってきたOSは存在する。