「やめてみるメソッド」

梅田さんの『ウェブ時代をゆく』の本自体はまだ未読だが、CNETの記事を見て、「何かをやめてみる」というメソッドはいいんじゃないかと思った。

この本の感想を見ると、「わくわくした」とか「元気が出た」とか書いてあります。一服の清涼剤としてこの本を使うのも十分なんですが、それを超えて水を飲むような読書のための本として使ってもらうためには、何か絶対にやめないといけない。大事なことをやめないとこの本のような何かはできない。

 これから家に帰るまでに決めなきゃいけないわけじゃないけど、直感って大事だから、できれば決めていただきたい。それをやって初めて、この本は完結します。
「たいしたことない自分」だから、本を書いた--梅田望夫氏講演:後編 - CNET Japan

好きを貫く、といっても本当に今やっていることが「好き」なのか、明確にわかっている人は少ないんじゃないだろうか。また、自分が好きなものがわかっていたとしても、それを追求するのに今の方法でよいのか、それも簡単にわからないと思う。少なくとも自分自身はそんなに何でもお見通しではないので、いろいろ迷うことがある。

だから好きを貫いて自分の道を切り開くにしても、ただがむしゃらに前へ前へと進もうとするだけでなく、回り道をしてみたり、ちょっと引いてみたりすることは必要で、何かをやめてみる、というのはひとつの手法だと思う。

世の中がひとつの富士山であったならば、上り坂を行き続ければいつかは頂上にたどり着く。たどり着かなくても、頂上から見て何合目ということがいえる。でも実際にはもっと地形が複雑だったりする。山あり谷ありだ。そのような地形で常に上り坂を行こうとすると、途中のちょっと小高い丘で行き詰ってしまう。そこで上り坂は終わりだ。そこから一旦坂を下ってみれば広いところに出られるかもしれないのに。

そんなわけで、いろいろ最適化アルゴリズムが考案されていて、ひたすら改善を繰り返すだけでなく確率的にランダムな行動を取り入れたりする。たとえばシミュレーテッド・アニーリング(焼きなまし)法は、若いうちはやんちゃをして(せっかく登った山を下ってみる)、歳を経てだんだん無茶する確率を減らすといった感じの最適化手法だ。ひたすら山を登る方法に比べると、決断の繰り返しの数は必要になる。まあ、それだけ流動的な人生となる。

どうも日本全体が官僚的なシステムになっていて、富士登山は得意だが、登った山を降りることができず、山が沢山ある時代には閉塞感に陥る、というのが現状に見える。

そんな中では、最適化問題の複雑さに絶望するのではなく、「最適解」なんてそもそも有限の時間に探し出せないと割り切って、気を楽にするといいんじゃないか。むしろ、山あり谷ありで探し出すプロセスそのものを楽しみにするといいと思う。*1

梅田さんは人生に意識的に戦略的だから、彼の「やめてみる」事例(年上の人には会わない)をきくとそんなに確信的にできるかな、と感じてしまうかもしれない。まあそんなに思い込めないよね、なかなか。まあそこは、確率的なものでしかないと割り切って、(許容できるリスクの範囲内で)勘違いでも何でもやってみるのがいいんじゃないだろうか。梅田さんが直感を大切にしろというのはそういうことなんじゃないか。

なかなか人間は渦中にいると自分が何に囚われているのかわからないもので、やめてみてはじめて、「何でこんなことにとらわれていたのだろう」、と気づかされることがある。逆に、失って初めてわかる有難さ、みたいのもあるが…。ま、山はいくつでもある!

そんなわけで「やめてみる」メソッドお勧め。

せっかくのおすすめメソッドなので、自分の周辺にある諸問題について、「思い切ってやめてみては?」と提案する、「やめてみる」シリーズでも書いてみようかと思う。

*1:そういえば、シリコンバレーではすべてこんな調子かも…